2019年9月29日 京都市電
現在も市バスが、河原町通を南下し九条まで行っていないのは、京都市バスが、京都市電の路線を継承したことによる。
【京都市電】
京都市電(きょうとしでん)は、京都市交通局が運営していた市電(路面電車)である。1895年に京都電気鉄道によって日本最初の一般営業用電気鉄道として開業され、1912年の市営路線開設、1918年の全面市営化を経た後、1978年9月30日限りで全廃された。
1895年(明治28年)、民間企業である京都電気鉄道により第1期区間が開業。日本最初の一般営業用の電車となった。京都に日本初の電車が開業した背景には、国内に先駆けて(世界でも2番目ともいう)水力発電が行われたことが挙げられる。京都は東京奠都に伴って天皇の膝下という地位を失い、市民の間で衰退が懸念されたことから、その挽回策として政府からの下賜金をもとに琵琶湖疏水が計画された。当初水車に利用する予定であった水力が発電に使えると知った設計者田辺朔郎は、急遽渡米して世界初といわれる水力発電設備を調査の上、帰国後ただちに設計を変更して蹴上に水力発電所を建設した。だが、電力を得ても当時はまだ電灯の使用が見込めず、産業用動力としてもなじみがなかったため、結果的に路面電車が電力の唯一の使い道となった。
最初の路線は京都市南部の伏見から京都駅前付近までで、その後、京都駅前から高瀬川沿いを北上、二条で鴨川を渡り東方の岡崎まで延長された(※その為、木屋町二条交差点南側は幅員が広い車道となっている)。
岡崎で開催予定の内国勧業博覧会への足として、大阪から淀川を船で来る客を見込んでのこととされる。ただし、開業当初は京都駅付近の軌道が繋がっておらず、乗客は踏み切りを渡って乗り換えなければならなかった。また、開業当初には路面電車による事故を防止するため、「告知人」と言われる先導役の少年が電車の前を走りながら「電車、来まっせ。電車、来まっせ。危のおっせ。」と声を張り上げたが、時には先導役の少年自身が急に電圧が上がったために不意に急加速した電車に轢かれるという痛ましい事故もあったという。
八坂神社石段下前
京都駅前
四条京阪付近?
【京都駅】
開業は1877年(明治10年)2月6日。 当初は、新橋駅 - 横浜駅間の鉄道に続いて2番目に開業した、神戸駅 - 当駅間鉄道の終着駅であった。
路線形状の都合や用地買収の楽な寂れた地域だったという理由から、旧来の繁華街である三条通などからは遠く離れた八条通付近に当駅が設置された。初代の駅舎の位置は現駅よりやや北側で、1914年(大正3年)に線路を付け替えて現在地に新駅が建設されるまで使用された。跡地は駅前広場の一部にあたる。
後に当駅から大津駅までの鉄道も開業するが、この時のルートは東山にトンネルを開削するだけの技術がまだなかったことから、現在のJR奈良線を稲荷駅周辺まで南下した後、現在の名神高速道路が走っている敷地を通って、大津駅へと向かうものとなった(大津駅の項目も参照)。
その後山陰本線が開通し、後の奈良線となる奈良鉄道や、市内の路面電車(京都市電)も乗り入れるようになり、当駅周辺は急速に発展していった。
京都市電木屋町線(写真は木屋町御池)
木屋町御池で複線になっているのがわかる。
京都電気鉄道
運休日
運転開始当初、琵琶湖疏水の水力発電所の電力を使用していたが、この発電所はこびり付いた藻を取り除くため月2回(1日・15日)停電日があったほか、保守点検のため年に数日の送電停止が行われており、電車も運休していた。これを解消するため、1899年(明治32年)に東九条村(後、京都市南区東九条東山王町)へ自社の火力発電所が設置され、運休もなくなった。当初は琵琶湖疏水の発電所からの受電と併用だったが、後に完全自給となる。しかし大正に入るとこの発電所は廃止され、京都電燈からの受電へと変更された。
【京都電燈】
関西地方で初めて電燈が点ったのは、明治16年4月1日、京都祇園の一力亭西角および歌舞練場前と云われている。東京・大倉組がデモンストレーションのため、移動式発電機によって初点燈が実施された。
その後、北垣府知事らの働きかけによって電燈会社設立の機運が高まり、明治20年10月に11名が発起人となって設立願書が提出され、翌21年4月6日に「京都電燈」の創立総会が開催された。設立時の資本金は10万円、初代社長には田中源太郎が就任した。本社事務所は当初、下京区御射山町の関西貿易会社内に置かれ、明治22年3月には下京区備前島町、木屋町通沿いに本社社屋が完成する。本社敷地内には発電機(50kW)が置かれ、同年7月21日から周辺の祇園、先斗町、新京極方面に配電された。
一方で北垣府知事のもと、東京遷都によって地盤沈下が進んだ京都の景気浮揚策として、琵琶湖の水運を京都市へ呼び込む琵琶湖疏水計画が進められ、明治18年に着手されて明治23年4月に完成する。明治24年11月に京都市営の蹴上水力発電所が完成し、翌25年12月から京都電燈が受電を開始する。京都電燈は水火併用方式を採ったため、石炭の高騰にも影響が小さく、経営が安定した。
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